26歳中間管理職の日記

26歳、中間管理職。上にも下にも、自分にも気を遣って頑張ってます。いろいろ書く雑記です。

信じて、やり続けること。

日曜日の朝、とびっきりの疲労感とともに目を覚ます。

 

また今日も8時間寝てしまったらしい。最近、試合の後はいつもこうだ。
寝ぼけ眼で確認したスマートフォンの時計の横に表示された現在地「茨城県」を見て、今日は鹿島に遠征に来ていたことを思い出す。

こう、色々なところに遠征していると、たまに自分がどこにいるのかわからなくなる。情けない話だが。

 

札幌に帰る飛行機までは、まだ時間がある。

 

「どっか観光して帰ろうかなぁ。その前に、朝ご飯どうしよう…」

そんなことを考えながら身支度をして、キャリーバッグと筋肉痛の脚を引きずりながら安宿を後にする。

 

J1でサポーターをやるというのは、思っていたよりだいぶ楽しい。

 

 

本当に、あとちょっとだと思う。

 

あのシュート、ボールがあと1個分ズレていたら…。

ゴールポストに当たる位置があと数センチ内側なら…。

アディショナルタイムがあと少しだけ早く終わっていたら…。

 

今シーズン、これらの「たられば」が全て叶えられていたとしたら、多分コンサドーレは今よりもっと上の順位にいると思う。

 

それが良い方に転ぶか、そうじゃない方に転ぶか、その違いが何なのかはよくわからない。
恐らくだけど、最後は運とか偶然性とか、そういう自分たちではどうにも出来ないことなんだと思う。

 

広島戦、先制点の場面での競り合いで都倉がファウルを取られなかったのも、大宮戦の先制点、ポストに跳ね返された金園のヘディングシュートが一直線に宮澤の足元に来たのも、多分偶然。

大事なのは、最後の「自分たちではどうにも出来ないこと」の前段階の、「自分たちの力でどうにか出来ること」の精度を高めて、それが正しいと信じて、たとえすぐには結果が出なくても同じ方向を向いてやり続けること、だと思う。

 

 

 

 

 

J1に上がってからも、アウェイスタジアムに詰めかけた札幌サポーターの応援を褒めるインターネットの書き込みをちらほら見かける。

 

僕らがやっている応援は決して見せ物じゃないし、札幌の選手を鼓舞させることが出来なければ何も意味は無い、ということはしっかり肝に銘じなければいけない。
けれど、一方で他者からのこういう評価は「自分たちのやっていることが間違っていない」と判断するための重要な要素となる。

進む道の判断ができたら、あとはそれを信じてやり続けるだけだ。

 

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「やってること間違ってないから!あとちょっとだから!前向いて、信じて続けよう!」

 

敗戦直後、浮かない表情でアウェイサポーター席の前に整列する選手たちに、僕は声が枯れるまでこの言葉を叫び続けた。

 

今必要なのは、"あとちょっと"を自分たちのものにすること。
結果は0-3の負けでも、良いところまでは来てる。自信を持って続けて欲しい。

そんな思いを込めて、叫んだ。

 

5連敗をしてもなお、こんなに前向きにサッカーに向き合えるなんて思ってもみなかった。

J1でサポーターをやるというのは、やっぱり楽しい。来年もやりたい。

 

だから、応援しよう。

「プロスポーツ観戦」こそ、子育てに取り入れるべき趣味である

いきなり大上段から失礼しまーす!的な話だけれど、この世の"事象"を2つに分けるとすると、

  • 「自分の力でどうにかなること」
  • 「自分の力だけではどうにもならないこと」

この2つに分かれると思う。

 

そのことを理解した上で、まず自分にできることを全力でやって(振り返り、反省からの改善も含めて)、少しでも望み通りの結果になる確率を高めるべきだ、というのが僕の持論。

だから、この2つの分かれ方に早い段階で気づいておきたい。

 

だけど、残念ながらいつまで経ってもこのことに気づかず、上手く行かないときは他人や環境のせいにして自分の改善には手を付けない、そんな大人もいっぱいいる。

そういう人を身の回りで思い浮かべると、だいたいは大した成果も上げられず、与えてもらった目の前の仕事をのらりくらりとこなしているだけのような気がしてならない。

きっと彼らは、そうやってほそぼそと定年を迎えていくのだろう。

 

……別に、この記事ではそういう人たちを糾弾したいわけではない。

これから大きくなり、やがて社会に出たときにより大きな価値を生み出す世代をどう育てていくか、という話をする。

 

「スポーツ観戦」という趣味を通じて、親が子供に教えられること

 

はじめの「自分の力でどうにかなること/ならないこと」に話を戻すが、僕がそのことにうっすら気づいたのは、他でもないスポーツの応援を通じてである。

 

僕が中学校に進学するのと時を同じくして、日本ハムファイターズが北海道に移転してきた。

それから僕は多感な思春期を、あるときはチームの結束力で優勝し、またあるときはぶっちぎりの最下位に沈む、そんな"道民球団"と一緒に過ごしてきた。

で、大学生のときに友人の誘いでうっかり手を染めてしまったコンサドーレ札幌の応援にどっぷりハマり、今このザマと。

 

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大好きなチームの勝利が見たいから、応援するときは全力で。

ゴール裏でも、外野席でも、いつも心がけている。

 

しかし、僕たちファン・サポーターがどれだけ声を枯らして応援しても、負けるときは負ける。

これこそ、「自分の力だけではどうにもならないこと」である。 

 

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親子の共通体験として、スポーツ観戦はこのことを教えるのにピッタリである。

 

ライトなファンではなく、本格的に応援して入れ込めば入れ込むほど良い。

贔屓チームが負けたときの悔しさが大きいほど、そのときの振る舞い方を教えるには絶好の機会だからだ。負けた試合の後に、こう問うてみれば良い。

 

「選手が一生懸命頑張って試合したけど、負けちゃったね。◯◯(子供の名前)は、一生懸命応援できた?」

 

試合の結果(自分の力だけではどうにもならないこと)と、自身の振る舞い(自分の力でどうにかなること)を関連付けて意識させる。

非常にシンプルで、小さい子にもわかりやすいだろう。

この考え方が定着してきたら、日常生活の他の事象にも当てはめてみれば良い。

 

 

プロスポーツを幼いころから応援する副次的効果としては、「地元愛の醸成」や「子供が普段過ごす"世界"では、まず触れ合えないような大人たちと絡むことが出来る」などが挙げられるだろう。

僕自身もこの恩恵をかなり受けており、特に後者に関しては「一人外野席デビュー」をした中学生のときに可愛がってもらった人たちと、大人になった今でも観戦仲間として仲良くさせてもらっている。

 

 

普段の読者層からすると、この記事を読んでくださっているのは、熱狂的なコンサドーレサポーターの方が多いかと思う。

「子供が居るからなかなかスタジアムに行けない」なんていうパパの嘆きもしばしば聞いたりするが、子供をダシに奥様を説得する1つの材料として、この記事を使っていただけたら幸いである。

 

ちなみに、僕には子供がいないし、そもそも結婚の予定もないし、さらに言うなら彼女すらいない。

「プロスポーツ観戦こそ、婚活に取り入れるべき趣味である」というブログ記事があれば熟読して心の支えにでもしたいものだが、それよりもこう問うてくれる人を募りたい。

 

「彼女を作るために、自分の力でどうにかなることは全力でやったのか?」

 

と。

(多分やってない)

連敗中のチームにファンがしてあげられること

 

仕事でどう頑張っても上手く行かないとき 

 

「失敗は見飽きた」

「上司の想いに結果で応えろ」

「成功への執念見せてくれ」

 

そんな言葉を投げられたら、どう思うだろうか。

 

 

プロ野球選手は特別だから、こういうことをしてもいいの?

 

そんなことは無い。彼らも僕らファンと同じ社会人であり、人間である。

上手く行かないときは、絶対辛い。

一試合、千数百円のチケットで入場した外野席でビール片手に応援しているファンが感じる辛さとは、比べ物にならない辛さを感じていることだろう。

 

www.youtube.com

 

6月7日、ようやく今季初勝利を上げた中日・大野がヒーローインタビューで見せた涙。

 

「試合前から"頑張れ頑張れ"と皆さんに応援してもらって、その気持ちを胸に投げました」

「こんな自分に"頑張れ"と声をかけてくださった皆様に、本当に感謝です」

 

ファンの居る外野席からピッチャーマウンドまで、ざっと見積もっても80~90メートルほどは離れている。

会話なんて到底出来ないこの距離で、ファンの一人ひとりが想いを込めて投げかけた"頑張れ"という言葉は、「思うような結果が出ない」という不安を抱えて今日もまた一人小高いマウンドに登った男の耳、そして心に、確かに届いていた。

 

 

上手く行かないチーム、上手く行かない人を目の当たりにしたとき、支える側の人間としてどちらを選択することが出来るだろう。

そして、その選択をどこまで本気で行動に移せるだろう。

 

スポーツの応援だけじゃなく、きっと日常生活でも当てはまる場面はある。

他人事ながら考えさせられた、交流戦の一幕。

 

 

ファイターズも今年はなかなか上手く行かないけど、前を向いて戦おう。

僕らファンは、監督と選手を信じて応援するのみ。

未来を変えたいと願うなら、まずは自分を変えること

「昨日もコンサダメだったね」

 

ゴール裏で跳び疲れた脚を引きずりながら出勤した月曜日。

デスクに着くなり、物知り顔の同僚にそう声をかけられる。

 

「いやぁ、やっぱJ1キッツいわ!」

 

悔しい気持ちをグッと抑え、そうおどけてみせる。

 

コンサドーレ札幌20年間の歴史の中で、僕たちサポーターは何度こんなやり取りを繰り返してきたのだろうか。

もういいでしょう。いい加減。

 

 

「後ろでばっかりパス回してるんじゃねーよ!」

「前出ろよ!攻めろよ!」

 

ルヴァンカップ、仙台戦。

思うようにいかないサッカーに苛立つ他のサポーターたちの声は、チャントを歌う声よりもずいぶん大きかった気がする。

J2の中位を彷徨っていた、数年前のゴール裏を思い出して、少し悲しくなった。

 

きっと、史上最速で降格が決定してしまった2012年のゴール裏もこんな感じだったんだろう。

当時まだサポーターじゃなかったから実際のところは知らないけど、勝手に想像して寂しくなった。

 

これもまた繰り返すの?

断ち切ろうよ。変えていこうよ。1つ1つ。生き残るために。

 

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選手に変わることを求めるなら、自分たちも変わるのがスジってものじゃないのかな?

 

他人と過去は変えられない。

だけど、自分と未来は変えられる。

 

僕たちサポーターが変われば、もしかしたら未来も変わるかもしれない。

そう信じて、前を向いて、僕は自分に出来ることをしっかりやり続ける。

 

 

 

マジで生き残りましょう。

赤黒の檻の中で僕たちは歌う

初めて訪れた埼玉スタジアム。
二重のチケットチェックの後に案内された僕たちの席は、「緩衝帯」という呼び名ではまだ生ぬるい、赤と黒の格子に仕切られた"檻"であった。

 


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この檻に好き好んで飛び込んでくるのは、北海道コンサドーレ札幌というチームに心を捕まえられてしまった人たちばかり。
全国各地から集まってきた2,200人は、それぞれが持ち寄った熱い想いで精一杯戦った。

 

 

「北海道コンサドーレ札幌というクラブの勝利、そしてその先にある残留」という目的達成のために、

 

  • どんなときもポジティブに選手を鼓舞する
  • 試合終了のその瞬間まで諦めない
  • 厳しい試合展開のときこそ力強くサポートする

 

この3つは特に重要だと考えているが、昨日の試合(少なくとの自分の周り)はかなり理想的なレベルでこれらが遂行できていたと感じた。

 

その理由は何故かと考えれば、常に厳しい戦いが予想されるJ1という舞台で戦う「覚悟」だったり、絶対に残留してやるという強い「決意」だったりするんだろう。


首位・浦和相手に、楽な戦いなんて想像できない。厳しい状況の中でどうサポートして、結果につなげていくか。
みんなの思考や意識が同じ方向にあるからこそ、跳ぶ・叫ぶ・歌うエネルギーが湧いてくる。

 

さらに、ここにもう一つ付け加えるべきなのは、「頑張って応援すればきっと結果で応えてくれるだろう」と、どんな厳しい状況でも選手が我々に抱かせてくれる、「期待」
ここに、今年の札幌の進化がある。

 

 

ならば、我々もそれに応えなければいけない。

 

優勢のときに意気揚々と騒ぐのなんて誰でもできる。
本当に必要なのは劣勢のとき、膠着状態で流れがどちらに傾くか全くわからないとき、誰か選手がミスをしてしまったとき……
僕たちと同じベクトルを向いて戦う選手たちにネガティブな感情が湧かないように、力の限りサポートをすることである。

 


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そして、選手の頑張りが垣間見えたら、いっぱい喜んで、いっぱい賞賛の声を上げよう。
ビジター席を完売させて応援に駆けつけてくれる"自分たちのサポーター"を、嫌いな選手なんていないだろう。

 

「好きな人が喜ぶ姿を見るのは嬉しいこと」
人間の本能に刻み込まれた、自然な感情。

 

そこを刺激してあげられるサポーターになれれば、今よりもう少しだけでも、選手はステップアップしてくれると思う。

選手と一緒に喜びの歌をいっぱい歌えるように、一人ひとりにできることを前向きにやっていこう。