26歳中間管理職の日記

26歳、中間管理職。上にも下にも、自分にも気を遣って頑張ってます。いろいろ書く雑記です。

最近の日本人は「期待」の仕方がヘタクソだと思う。

人は何故、"期待"をするのだろう。

 

「これが成功したら良いな」

「あれを食べたらどんなに美味しいのだろう」

「あの娘、僕のこと好きなんじゃね!?」

 

などなど。

基本的に"期待"というやつは、する側の願望だったり妄想だったりで描かれる「理想の結末」である。

多少の客観的な根拠や要因みたいなものはあっても、結局は勝手にしているだけなので、実現のお約束なんて全くされていない。

それでも人が"期待"をしてしまうのは、仮にそれが望み通りに実現した場合、素晴らしい未来を手にすることが出来る(と考えられる)からだろう。

 

その分、現実のものとならなかったときのショックはある。

目の前に横たわる事実はその事実以外の何物でもないのだが、"期待"というフィルターを大きくすればするほど、目に入ってくる事実と理想の結末との差にガックリきてしまうのだ。

 

かと言って、"期待"することをやめればいいのかというと、そうではないと思う。

"期待"をしているとき、(少なくとも自分は)ワクワクして目の前のことがキラキラ輝いて見えるし、理想の結末に向けて行動をする何よりの原動力になる。

だからむしろ、色々なことに"期待"はするべきだと思う。

 

 

勝手に"期待"して、上手く行けば喜んで、実現しなければガッカリする。

そこまではいい。問題は、実現しなかったときにどう考え、どう振る舞うかだ。

 

自分の"期待"が理想とはかけ離れた結果になってしまったとき、

「ちょっと期待しすぎてたか。失敗失敗。でも、いい経験になった」

と考えられればいい。

 

でも、

  • 自分の乗る予定だった交通機関が、運行(運航)会社にもどうしようもない理由で止まってしまっているにも関わらず、係員さんに詰め寄る
  • 好意的なキャンペーンのピザが手に入らなくて暴動を起こす

昨今見かけるこんな事例は、自分の"期待"が失敗に終わったことを他人の責任にしてしまっているから起こっている。

 

どうしてこう、"期待"の仕方がヘタクソになってしまったのか。最近の日本人は。

最近耳にする、ブラック企業を生み出す「ブラック消費者」という問題にも繋がってきそうなところである。

 

 

という、新潟限定「ルマンドアイス」の感想文。