26歳中間管理職の日記

26歳、中間管理職。上にも下にも、自分にも気を遣って頑張ってます。いろいろ書く雑記です。

そう、確かに「たかがスポーツ観戦」だ。しかし、人様を傷つけるようなことがあっちゃいけねえ。

スポーツに魅せられ、愛するチームを持ってしまった僕らは、贔屓チームの試合結果や状況に、その日常を大きく揺さぶられる。

良い意味でも、悪い意味でも、だ。

 

それなのに、大事な試合のときでさえ、僕らにはチームの勝敗に直接関わることが許されていない。

僕らファン/サポーター(あるいはそれに類する呼称の人々)はあくまで、チームの外の人間。

いくら人生を乗せているといっても、贔屓チームの栄光で喜びや誇りを得ても、それはあくまでチームの努力の結果であって、僕らはそれを享受させていただいているだけ。

 

唯一、僕らが贔屓チームに対して出来るのは「応援」のみ。

 

でも、それをすることで贔屓チームの選手たちが奮い立って、キツいときに最後のひと踏ん張りをして、そしてチームの勝利に繋げていくことが出来るかもしれない。

だから、僕らは応援をするのだ。

 

気持ちが届いて、選手たちが奮闘して、愛するチームが勝てばそれでいい。別に見返りなんて求めない。

叶わぬ片想いの恋にも似たこんな状況に魂を燃やすことが出来る「スポーツ観戦」を、さほど興味のない世の人はもしかしたら"たかが"という言葉で表すかもしれない。

 

でも、それでも良いのだ。

僕らにとって大切で、尊い存在であることは自分たち自身が一番わかっていて、だからこそ情熱を傾けているのだから。

 

 

これが、僕の思う「スポーツ観戦」の大前提であり、ファン/サポーターの取るべき立ち位置だと考えている。

しかし最近、この枠を外れ、本来応援に注ぐべきエネルギーを好ましくない形で使用している、悲しい人々を目にすることも残念ながら少なくなくなってきた。

 

己の「勝ったとき」に目を向けよ

 

負けたとき、手にした勝利を喜ぶ相手に向かって乱暴な言動をとるのは、スポーツマンシップに則り行われた競技の後にする行為としては最低だ。

そんなことは誰でもわかるだろうし、客観的にも「負け惜しみ」という言葉で片付けられて然るべき。

 

そうならないためにも、僕は「贔屓チームが勝ったとき」に目を向けるべきだと考えている。

 

厳しい戦いの末に勝ち取った勝利、贔屓チームを見守る側のファン/サポーターとしても喜びはひとしおだ。

そんなとき、負けた相手チームのファン/サポーターから、勝った自分たちに粗暴な言葉や行動が向けられたら、どう思うだろう?

恐らく「やーい、負け惜しみ!」と思うだろうし、言動の内容によってはせっかくの勝利の喜びも冷めてしまうかもしれない。

勝ったときこそ、この感覚を覚え、大事にしたい。

 

これはまた、自分たちが負けたときも同じである。

ただ「負け惜しみ」と思われるだけなら良い。しかし、その頭には必ず「○○のファン/サポーターが」という言葉が付く。

これによって、チームに悪いイメージが付くのも避けられないし、場合によっては悪さを働いた人間をチームとして処分しなければいけないかもしれない。

 

大好きなチームの応援に行って、迷惑をかけて帰ってくる。

それは、ファン/サポーターのして良いことなのだろうか?

 

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逆もまた然りである。

勝ったとき、負けてしまった相手へのリスペクトを欠き、横柄な言動をとる。

それを、負けた側から見たらどう思うだろうか。とても傷つくだろう。

 

そうしないためにも、「自分たちが勝ったとき」に目を向けたいものである。

相手を、人様を傷つけないために、そして回り回って自分たちを傷つけないために。

 

 

こんな議論さえも、さほど興味のない世の人は、やはり「たかがスポーツ観戦で…」と言うかもしれない。

だけど、僕らにとってはそうではない。それを自分たち自身でわかって、だからこそ情熱を傾けているのだ。

 

じゃあ、それをわかっているはずの僕らが、そんな大事な「スポーツ観戦」の場で、そんなことをして良いのだろうか?

 

小さなことだけど、一人ひとり心がけよう。

これからも永くスポーツを愛して、熱くなろう。