いきなり大上段から失礼しまーす!的な話だけれど、この世の"事象"を2つに分けるとすると、
- 「自分の力でどうにかなること」
- 「自分の力だけではどうにもならないこと」
この2つに分かれると思う。
そのことを理解した上で、まず自分にできることを全力でやって(振り返り、反省からの改善も含めて)、少しでも望み通りの結果になる確率を高めるべきだ、というのが僕の持論。
だから、この2つの分かれ方に早い段階で気づいておきたい。
だけど、残念ながらいつまで経ってもこのことに気づかず、上手く行かないときは他人や環境のせいにして自分の改善には手を付けない、そんな大人もいっぱいいる。
そういう人を身の回りで思い浮かべると、だいたいは大した成果も上げられず、与えてもらった目の前の仕事をのらりくらりとこなしているだけのような気がしてならない。
きっと彼らは、そうやってほそぼそと定年を迎えていくのだろう。
……別に、この記事ではそういう人たちを糾弾したいわけではない。
これから大きくなり、やがて社会に出たときにより大きな価値を生み出す世代をどう育てていくか、という話をする。
「スポーツ観戦」という趣味を通じて、親が子供に教えられること
はじめの「自分の力でどうにかなること/ならないこと」に話を戻すが、僕がそのことにうっすら気づいたのは、他でもないスポーツの応援を通じてである。
僕が中学校に進学するのと時を同じくして、日本ハムファイターズが北海道に移転してきた。
それから僕は多感な思春期を、あるときはチームの結束力で優勝し、またあるときはぶっちぎりの最下位に沈む、そんな"道民球団"と一緒に過ごしてきた。
で、大学生のときに友人の誘いでうっかり手を染めてしまったコンサドーレ札幌の応援にどっぷりハマり、今このザマと。
大好きなチームの勝利が見たいから、応援するときは全力で。
ゴール裏でも、外野席でも、いつも心がけている。
しかし、僕たちファン・サポーターがどれだけ声を枯らして応援しても、負けるときは負ける。
これこそ、「自分の力だけではどうにもならないこと」である。
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親子の共通体験として、スポーツ観戦はこのことを教えるのにピッタリである。
ライトなファンではなく、本格的に応援して入れ込めば入れ込むほど良い。
贔屓チームが負けたときの悔しさが大きいほど、そのときの振る舞い方を教えるには絶好の機会だからだ。負けた試合の後に、こう問うてみれば良い。
「選手が一生懸命頑張って試合したけど、負けちゃったね。◯◯(子供の名前)は、一生懸命応援できた?」
試合の結果(自分の力だけではどうにもならないこと)と、自身の振る舞い(自分の力でどうにかなること)を関連付けて意識させる。
非常にシンプルで、小さい子にもわかりやすいだろう。
この考え方が定着してきたら、日常生活の他の事象にも当てはめてみれば良い。
◇
プロスポーツを幼いころから応援する副次的効果としては、「地元愛の醸成」や「子供が普段過ごす"世界"では、まず触れ合えないような大人たちと絡むことが出来る」などが挙げられるだろう。
僕自身もこの恩恵をかなり受けており、特に後者に関しては「一人外野席デビュー」をした中学生のときに可愛がってもらった人たちと、大人になった今でも観戦仲間として仲良くさせてもらっている。
◇
普段の読者層からすると、この記事を読んでくださっているのは、熱狂的なコンサドーレサポーターの方が多いかと思う。
「子供が居るからなかなかスタジアムに行けない」なんていうパパの嘆きもしばしば聞いたりするが、子供をダシに奥様を説得する1つの材料として、この記事を使っていただけたら幸いである。
ちなみに、僕には子供がいないし、そもそも結婚の予定もないし、さらに言うなら彼女すらいない。
「プロスポーツ観戦こそ、婚活に取り入れるべき趣味である」というブログ記事があれば熟読して心の支えにでもしたいものだが、それよりもこう問うてくれる人を募りたい。
「彼女を作るために、自分の力でどうにかなることは全力でやったのか?」
と。
(多分やってない)