「あ、こいつには別に言わんでええわ」
普段の僕なら間違いなく口に出す忠告が、無意識にスーッと喉の奥に消えていくという初めての体験をした。
それは自然で、でもそんな選択を流れるようにしてしまった自分が少し怖くもあったが、それ以上に同時に頭をよぎった「自分が本来もらうべきだったアドバイスや忠告を、言われぬまま今に至ってはいないだろうか」という、否定しきれない可能性がもっと恐ろしかった。
見えてしまった「言われるうちが華」の裏側
「言われるうちが華」という言葉は、何かにつけてお小言を言いたい人が、自己正当化のための免罪符のように使うものだと、子供の頃は思っていた。
特に意味の説明もせず、説教されたあとにこの言葉だけ言われればそりゃあそうも思うだろう。
人はそれぞれ、それなりに自分の考えを持って発言や行動をしているわけだし、自分で選んだ言動が他人にとやかく言われるのは決して気持ちの良いものではない。
大人へと成長していく中で大小様々な失敗をし、他人からもらえるアドバイスの重要性を身に沁みて実感するという経験をしても、100%素直に聴き入れるのは難しいだろう。
◇
別に、今日僕が言いたかった(言うべきだと自分では思っていた)忠告が、必ずしも正しいとは思わない。
だから、そのこと自体はどうでもいい。
しかし、「忠告を言わないでおく」という選択肢が見えてしまったのが、この上なく恐ろしかった。
僕の選択肢に入っているということは、他人の選択肢にも、確実に入っている。
忠告やアドバイスを言ってもらわずに生きていくのは、確かに心地良いだろう。
自分が求めた通りの共感ばかりをもらって、守ってもらって。
ただ、それが最終的な幸せに繋がるだろうか?守ってくれる人がいなくなったらどうするのだろうか?
◇
もらえる忠告やアドバイスが、必ずしも正しいとは限らない。
でも、最後に動くのは自分だ。自分の行動は、自分で決めなければいけない。
内に秘めた基準がそもそも間違ったものなら、正しい方向に進むことは不可能だ。
それを正してくれるのは誰か。
……もう、他人からの忠告やアドバイスを完全に無視することは出来ない。
まずはたくさんの意見をもらって、その上で自ら選び、行動しよう。