27歳中間管理職の日記

27歳、中間管理職。肩書にとらわれず、ただ社会人としての価値の向上を。いろいろ書く雑記です。

全員に平等に差し出せない「善意の行い」なら、いっそやらない方がいい

まず、極端な例え話。

 

今、あなたは駅から会社までの通勤経路を歩いている。

いつもの通り慣れた道に、ひらりとコンビニ袋が舞っているのが見えた。

そしてどういうわけか、それはあなたの歩く5歩先にめがけて飛んできて、ピタリとそこで止まった。

 

あなただったら、この袋を拾うだろうか?

 

僕だったら拾わない。

 

その「善意の行い」は、いつどんなときでも、誰に対してでも差し出せるか?

 

理屈としてはそういうこと。

決して僕が「地球環境なんてどうでもいい」なんて思っているわけではない。

 

仮にその日は拾ったとして、その翌日同じ状況で別のゴミが落ちていたら、またその次の日にも空き缶が落ちていたら……

僕はそれらを拾い続ける自信がない。

 

大前提としては、「善意の行い」はしないより、した方がいいに決っている。

ただ、「特に明確な基準はないけど、とあるときはして、またあるときはしない」というように、特定の条件がない状態でその「善意の行い」をすると、善意で得るはずだったプラスの要素より、大きなマイナスが自分に降り掛かってくるケースがあると思う。

せっかく良いことをしてあげたのに、だ。

 

もっとわかりやすい例を挙げる。

 

企業SNSアカウントに見られる、完全なる平等の達成がほぼ不可能な「善意の行い」

 

近頃はずいぶんと企業のSNS利用が活発になり、一般消費者としては情報を得るのがスピーディーかつ容易になった。

アカウントの"中の人"のキャラクターが、企業イメージの向上に繋がっているところもあるだろう。時代に上手に適応していて好ましいと思う。

 

僕が気になるのはその先。

自社の社名やサービス名で「エゴサーチ(インターネット上で、自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名を検索エンジンを使って、自分自身の評価を確認する行為のこと エゴサーチ - Wikipedia  より)」をかけて、関連する書き込みをしている一般SNSユーザーに能動的に返信をしているケースである。

 

SNSアカウントのフォロワーが数百~千人規模の中小企業が、珍しく自社製品について書き込みをしてくれている人全員にお礼を書いて回るなら、それは非常に素晴らしい営業努力だと思う。

しかし、フォロワー数十万人の誰もが知る大企業のアカウントが、気が向いたときだけ検索でたまたま引っかかってきた一部のユーザーにお礼を言う姿は、お礼を言われなかったその他大半のユーザーの目にどう映るだろうか。

 

その「善意の行い」は、いつどんなときでも全員に差し出すことが出来るか?

もし、自分が"差し出されない"側の人間だったらどう思うか?

 

一度冷静になって考えてみた方がいい。

 

 

これに関しての好事例を1つ紹介して、この記事のまとめとする。

僕が「善意の行い」に関する、自分の明確な軸を得た経験談。

 

僕は学生の頃、プロ野球選手のサイン収集に熱中していた時期があった。

その日もいつものように数十人のファンに紛れて出待ちをしていると、プロ野球ファンなら誰もが知る某有名選手が現れた。しかも、特に急いでいる様子もない。

 

これはチャンス!と思い、真っ先に声をかけに行くと、こんな言葉が返ってきた。

 

「ごめんね~本当はサインしてあげたいんだけど、今人を待っていて、全員に書いてあげられるかわからないから」

 

真の意味での「"ファン想い"とはこういうことか」と思った。

サインを断られたこと自体は悲しかったけど妙にその理由に納得して、それから「善意の行い」についての考え方を持つようになった。