初めに確認なのだが、僕は人間だ。
この記事を読んでくださっているあなたも、恐らく人間だろう。
もし「違うよ!」という人がいれば(人ではないんだろうが)、コメント欄で教えて欲しい。日本語が通じそうな場合だけお返事します。
人間は神ではないので、出来ることと出来ないことがある。
人間に出来ることは"自分に出来ること"だけだ。"自分に出来ること"は努力や経験などによって、一つの項目に関する出来るレベルを高めたり、あるいは出来ることの項目を増やしたりすることが可能である。
逆に、人間は"自分に出来ないこと"は出来ない。当たり前だ。
これも努力や経験などによって程度を軽減したり、減らすことは可能だが、ここには一つの制約がつく。
それは、「あくまで、"自分の出来る"範囲で」ということ。
「自分の出来る範囲外」に勝手に期待して、落ち込むことほどもったいないことはない
この世の中の全てのことは、「自分に出来ること」と「自分に出来ないこと」に分類することが出来ると思う。
僕の伝えたいニュアンスをわかりやすくするために表現を少し変えるとすると、この記事のタイトルにある「自分でどうにか出来ること」と「自分ではどうにも出来ないこと」だろうか。
「そんなことわかってるよ」と大半の人は言うだろうが、どうだろう。
日常生活をふと振り返ってみて、「自分ではどうにも出来ないこと」に勝手に期待をして、落ち込んだり、悲しくなったり、ときにキレてみたり…そんなことはしていないだろうか?
「自分ではどうにも出来ないこと」に関して完全に(ある意味で)諦めて期待を捨て去り、全ての物事を達観するというのは、それ自体が残念ながら私たち人間の「出来ないこと」であり、感情を持って生きているうちに100%その境地に達することは恐らく不可能であろう。
しかし先述した通り、人間は「"自分の出来る"範囲で」なら、"自分に出来ないこと"の数を減らしたり(=出来ることを増やす)、程度を軽減したりする(=出来るレベルを高める)ことが出来るはずだ。
そしてそれをすることによって、自分が望む結果が実現する確率を上げることが出来ると思う。
取引先との商談が上手く行って欲しい
部下にはこれくらいの結果を出して欲しい
自分の子供に将来こんな人になって欲しい
大好きなあの娘と付き合いたい
応援しているサッカーチームに勝って欲しい
これら項目の"結果"の決定権は、自分にはない。
つまり、結果を決めるのは「自分に出来ないこと」である。
しかし、
取引先との商談が上手く行って欲しい
→商談が成功するように相手のニーズを知り、それを満たすために最大限の準備をする
部下にはこれくらいの結果を出して欲しい
→自分が求める結果を出すための方法、考え方を伝え、必要に応じてその過程を見守り、適切なアドバイスやフィードバックを繰り返し、努力を続けられるように動機付けもする
自分の子供に将来こんな人になって欲しい
→物事の良し悪しを判断することができる基準をしっかり教え、目指すべき人間像を一緒に考える
大好きなあの娘と付き合いたい
→相手がパートナーに求めるものを知り、相手の喜ぶことをしてあげて、心地良い関係を構築する努力をする
応援しているサッカーチームに勝って欲しい
→チームが強くなるようにお金を出し、スタジアムでは選手がキツいときのあと一歩を踏み出せるように全力で応援する
矢印で補足したような"自分に出来る範囲のこと"を全力でやりきることで、望む結果になる確率を上げることが出来ると、僕は信じている。
◇
自分の直近の行動や判断を振り返って、"自分に出来ること"を十分にしないまま"自分に出来ないこと"への期待ばかりを高め、そして落ち込んでいることはないだろうか。
こんな偉そうな記事を書いておきながら、自分はそんなことばかりだ。
だからこそこの記事を書いた。
「自分に出来ることはやりきった。これでダメなら仕方ない」と常に思えるくらい、"自分に出来ること"に全力を尽くせるように。
そのことを忘れないように。
今日も一日頑張りましょう。