逆に、会社の成長に社員がついていけない。
そうなったら、社員は何か別の方法を考えなければいけない。
北海道コンサドーレ札幌の野々村社長が語った言葉を、我々一般の社会人に向けて変換すると、こうなるだろう。
最近、仕事について思うこと。
頑張って、必死こいて目の前の仕事をこなしていくのは素晴らしい。
だけど、それをずっと同じレベルでやっていては何の成長もない。
自分のレベルを高めて、今まで大変だったことを当たり前のようにこなせるようになっていきたい。
ビジネス書では「当たり前基準を高める」「平熱を上げる」なんていう表現をされたりもするが、ここ最近自分の中でのこれが、結構高まってきている。
それ自体は良いことだと思うのだが、それに伴って大きくなる周りとの温度差に、若干のモヤモヤを感じているのも事実だ。
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自分が当たり前のようにやれることが増えていく中で、自分が追い求めるものを実現するために必要な他人の協力にも、無意識により高いレベルを要求するようになった気がする。
「組織に属し、利益の最大化のために最小限の投下時間で最大限の成果を得る」という観点で言えば、少なくとも間違ってはいないだろう。
しかし、その要求をされた側の人はどう思うか。
無茶振りだと思うか、彼/彼女自身の現状に落胆してしまうか、はたまた呆れるか……
そう考えて、歯止めをかけてしまう自分もいる。
果たしてそんな職場は、自分の成長のために適切なのだろうか、とも思う。
別に、目の前の仕事が完璧に、100%出来ているわけではない。もしかしたら、自分への過信やうぬぼれかもしれない。
けれど、日に日に大きくなるこの感情は、あまり溜め込んで良いものではない気もする。
こんなときに、所属クラブの中で急成長を遂げているサッカー選手だったらどうするだろう、と考えてみる。
愛着のあるクラブに残るか、より高いレベルを求めて飛び出すか。
その決断には「自分のスキル」「それを客観的に証明する事実」「責任」「覚悟」あたりが必要だと思う。
今の自分には、まだ2番目の「自分のスキルを客観的に証明する事実」が足りないと考える。
サッカー選手だったら、ゴール数や公の試合で見せるプレーが何よりの事実になるだろう。持てるものが高いレベルのクラブに求められれば、オファーは来る。
じゃあ、一般の社会人の場合はどうだろうか?と考えると、「(社内で相対的に得られる)役職」や「数値で表せる実績」、外向きなところでは「公的な資格」などだろうか。
これも、他社にフィットするものがあれば、今の雇用条件よりも良い求人があるかもしれない。
そんなわけで、まだ今のところにはいるつもりだ。
しかし、留まることで(予想の範囲内で、安定的に得られるだろうと予想される)メリットを上回る話があった場合は、いつでも飛び出せる準備をしておく。
そんなことを、サッカーに重ねて考えてみた。