今日も10分。
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レジリエンスってなんやねん?というところから始めると、
レジリエンスとは、「回復力」「復元力」または「弾力性」とも訳され、ストレスと言った外的な刺激に対する柔軟性を表す言葉です。ストレス社会と言われる現代において、レジリエンスは心身ともに健康を保ち、仕事で成果を出すために必要な要素として注目され続けています。
という感じで、要するにグッとストレスを受けたときに、それを適切に受け止めて、元の状態に戻す力といったところ(僕はそう解釈している)
東日本大震災の復旧・復興に際して、注目された言葉でもある。
僕はこのレジリエンスが、ここ数年で急激に高まっているのを感じる。
身の回りでイラつく出来事(コップを割るとか、ついさっきパソコンにコーヒーぶっかけたのとか…笑)が起こっても「うわー最悪」とさえ思わず、後片付けのための最善手に時間のロスなく取り書かれるようになったし、仕事で「マジかよ」という案件が発生しても、やはり動じずに対応の行動について考えられるようになった。
これは、ひとえにサッカーのサポーターとしてメンタルを鍛えられたからだと思っている。
サッカーのサポーターとかいう苦行
サッカーの応援なんつーのは、いつやってくるかもわからない一瞬の快楽のために続ける「苦行」である。
雪の降るクソ寒い日も、倒れてしまいそうに暑い夏の日も、ゴール裏でぴょんぴょん跳んで叫ぶ。
この努力が報われる保証なんてまったくなく、平気でびっくりするようなゴールを決められ、屈辱的な負け方をすることもある。それを、僕らサポーターは(応援しながら)ただただ眺めているしかない。僕らには、ゲームの結果に関して関与する力は一切与えられていない。
サポーターは、無力だ。
しかし、どんな状況でも、僕らサポーターは「自分に出来るやるべきこと=応援」をするしかない。
後半残り10分で3点差をつけられていても、同点の後半アディショナルタイムに勝ち越しゴールを決められても。
…こういう環境に長いこと身をおいていれば、レジリエンスも嫌でも高まるというものだ。
レジリエンスを高めるためにサッカーのサポーターになる!という高尚なモチベーションで来られてもちょっと困っちゃうけど、おまけ程度に生きるための力が付きますよ、というお話でした。
【今朝の空】
冬に逆戻りしたような吹雪。
今日も良い日にしましょう。